2024.7.7みことばの光


  先週の祈祷会は「聖書に聴く」。サムエル記第一15章を読んで、教えられたことを分かちあいました。サムエル記はイスラエルの君主制開始を記録する大変興味深い書物です。諸民族の 乱立するパレスチナにあって、民は外国と同じような君主制を預言者に求めました(8:5)。それ は主への従順を拒絶する(8:7)意味がありましたが、主は許可します。聖書の信仰はこの世の支 配者、指導者を無条件に否定することはしません。しかしそこには問題が孕んでいるというこ とを私たちに暗示しているのです。
 主が王制を許可したので、初代サウル王が任職のために油注がれます(10:1)。サウルは魅力的な人物であり(9:2)、謙遜さも持っていました(9:21)。しかし彼の治世はたったの2年(13:1)。 王としてふさわしくない本性を露呈することになったのです。13章で雲霞のごときペリシテの 大軍と向き合った時、イスラエルは敵を恐れ震え上がります。おりしも例祭の日近く、預言者 を待って、神を礼拝してから戦いに赴くべき時に、サウルは定めを守り行わず、預言者の到来 を待つことなく、勝手に礼拝を終えたのでした。13:13で預言者は、サウルが、王国を確立す るチャンスを逃したと告げます。最初の大きな失敗に対する鋭い警告であり、サウルはここで 悔い改め、神に対する畏敬の念、神を恐れつつ、その定めを守り行うべきでした。
 14章も私たちの考察を促す章です。サウルは断食の誓いをもって苦闘するイスラエルの士気を高めようとしますが、息子ヨナタンが父の誓いを知らず蜂蜜を口にし精気に満ち溢れたのです。王の判断は真の指導者として正しいのか?疑いを抱かせる事例が記されています。
 15章は彼の真価が問われた章です。主が聖絶の命令をはっきりと示したからです。聖絶は極めて特殊な、この時代、この地域においてのみ命じられた敵全滅の命令です。聖書の中でも他に繰り返されることはありませんでした。それはこの命令において、王が神に従うか従わない かが明らかになるためでした。神からのテストに失敗したサウルの存在は、預言者サムエルに とっていかばかりの悲しみになったことでしょう。サウルの言い訳、それに対する預言者の反 論を通して、私たちは、大切なこと、真の神が私たちに望んでおられることを教えられるので す。「聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記 第一15章22節)神の御心に従い、それを行う人を神は喜んでくださるのです。