2024.3.3みことばの光


  キリスト教の信仰が、もし「家内安全、商売繁盛」を売り物にするものであるなら、恐らく詩篇は成り立たなくなるだろう。クリスチャンでも困難に遭い、試練が与えられるからである。しかしたとえそうであっても、神に信頼しその助けを仰ぐのが聖書の教える信仰である。
 野田秀先生は詩篇40篇の解説を上記の言葉で始めています。先日の祈祷会は聖書通読箇所を読んでから、恵みを分かち合いました。すでに学んだ詩篇ですが、改めて振り返ってみると、味わいは深まります。40篇からの抜粋とも言える70篇を学んだばかりですので、その違いも覚えました。より緊急の時には短く70篇をもって祈る。しかし、少しゆとりがあるなら、40篇のように過去の神の助けを思い起こしつつ、神を賛美し、今の必要を求める。
 牧師は詩篇40篇というと必ず思い出されるのがロックバンドU2です。1980年頃アイルランドで活動を始めた4人組。アイルランドという独特な環境のゆえに、政治的、宗教的な問題にも正面から向き合い、発言し、活動してきました。カトリックとプロテスタントの対立が身近な地域で、彼らは聖書研究を熱心に行うグループにも参加しました。そして、デビューの頃から今日に至るまでコンサートの最後に必ず歌ってきたのが、詩篇40篇1-3節を歌詞にした"40(フォーティー)"です。神が自分の人生に働いて、救いを為してくださった、その経験が彼らの活動の根底にいつも流れていることを、証ししている歌です。
 「主は〜滅びの穴から、泥沼から、私を引き上げてくださった。私の足を巌に立たせ、私の歩みを確かにされた。主はこの口に授けてくださった。新しい歌を、私たちの神への賛美を。」私たちの命の営みを見守っておられる神を、知らずに生きるということは、知らぬ間に滅びの穴に向かっていることだと改めて教えられます。知らず知らずのうちに泥沼に足をとられ、気づいた時には抜け出せなくなっている。しかし神はわたしに呼びかけ、救いの道を示してくださいます。信じるだけで、神は、私たちを堅く立たせることができます。永遠のいのちに導いてくださいます。
 神を信じたからといって問題がなくなるわけではありません。しかし問題の中で神を見上げ、祈りながら神の答えを待ち、聖書を学ぶ中で、私たちは世界のことを深く知り、世界を造られた神が今も私たちを愛して導いておられることを知り、この神と共に生きる生き方を知ることができるのです。この信仰は私が「苦しい時」「貧しい時」、「助けてください」(詩篇40:17)と正直に祈ることのできる信仰です。そして神は祈りに応えてくださるのです。