2025.4.6みことばの光


   先週の祈祷会は『聖書に聴く』。ルカの福音書19章を読み、それぞれで思い巡らし、いただいた恵みを分かち合いました。ルカ19章はエリコからエルサレムまでの出来事とイエス様の教えです。まずは取税人ザアカイの救いです。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。当時のユダヤ社会はローマの植民地。植民地としてローマ帝国から税を取り立てられていたので、取税人はローマの手先として嫌われていました。一方取税人は、嫌われているなら職権を利用するまで、と、不正な取り立て(8節)を行い、私服を肥やしていました。今日、税制度、公金の使用が適正になされているかと考えると、いつの時代にも悪者はいるのだと思わされます。

 しかしザアカイは、ただの悪者ではなかったようです。イエス様に対してただならぬ興味を抱いているからです。背が低かったので、群衆の先回りをし、いちじく桑の木に登った。イエス様を一目見たいと切に願っていたことがわかります。イエス様はその場所に来ると、「ザアカイ」と彼の名を呼び、「今日、あなたの家に泊まることにしているから」と告げたのでした。ザアカイは「喜んでイエスを迎えた。」とありますから、彼の心には何らかの思いがあったのです。その心情が吐露されるのが8節です。ザアカイは「自分の財産の半分を貧しい人たちに施す」とイエス様に誓ったのでした。また「脅し取った物は四倍にして返す。」償いです。彼の心の中にはすでに悔い改めの思いが満ち溢れていました。税金をくすねて私服を肥やすような、そんな人生はむなしい、ということを思い知っていたのです。そんなおり、イエス様の噂を聞いたのでしょう。病いを癒し、悪霊を追い出す。さらには罪の赦しを与えてくださるという、そんな救い主こそ、ザアカイに必要な救い主でした。なぜなら彼の人生は不正と罪、不親切、冷淡で、寂しい限りだったからです。彼は人生を変えるきっかけを求めていました。そしてイエス様が近づいた時、正直な思いを告白したのです。10節にイエス様のすばらしい言葉が記されています。「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」私たちは神から見れば、皆、楽園追放された「失われた者」です。しかしイエス様は、私たちが再び神の国の住人となるために、地上に来られて、罪の贖いを成し遂げてくださったのです。悔い改める者は神の国に入ることができるのです。