2023.12.10みことばの光
先週の祈祷会は「聖書に聴く」。通読箇所詩篇149篇を読んで、教えられたことを分かちあいました。
詩篇は信仰者の"魂の解剖図"(カルヴァン)と言われ、その結びの145篇から150篇はどれもハレルヤで始まりハレルヤで終わるのですが、詩篇全体の締めくくりが賛美に溢れていることは、私たちのいのちの目指すべき到着点が神賛美なのだということを教えています。(ハレルヤとは「主を(ヤー)ほめたたえよ(ハレル)」という意味ですが「賛美せよ」、「賛美しましょう」という礼拝用語になっているといえるでしょう。)
直前の148篇ではあらゆる被造物が神賛美に招かれています。その呼びかけは遠い所から始まって(148:1「天」)、7節では海の巨獣、海溝の深淵、8節では気象、9節では山々や木々、10節の動物たちを経て、11、12節で世界中の老若男女に及び、14節で「御民」が初めて登場し、これが149篇全体を生み出しているのです。全ての被造物は神の栄光を現わすために存在していますが、神の民、信じる者は、どのように神の栄光を現わすのでしょう。
149篇1節で神の民は、敬虔な者たちの集まりに招かれたものであることが歌われます。私たちは、神を自分の神として選び、共に歩むことを約束したものとして神を賛美するのです。そのことは、造られた被造物が、その存在を通して神の栄光を現していることとは一線を画する一段深い意味のある賛美です。
罪の中に失われていた"わたし"が、神によって見出され、罪を赦されて、新しいいのちを与えられ、神と共に生きる者とされた、私たちには、神の民とされた喜びがあります。それが"新しい歌"なのです。神は日々聖霊により、私たちに新しい息吹を与えてくださいます。肉体は衰え、弱りますが、神の霊は、新しい風を私の心に吹かせます。これはただ衰えるだけの人間の肉体には起こり得ない新しい喜びを産みます。尽きることのない泉、聖霊に導かれるなら、私たちは、躍り上がる喜びと楽しみに満たされるのです。4節、主はご自分の民を愛し、貧しい者たちを救いをもって装われる。神様は世界の全ての人を分け隔てなく愛しておられますが、しかし、信仰をもって応答するご自分の民のことは、さらに特別に愛しておられます。「貧しい者」に「救いの装い」。罪ある私たちは自分で自分を飾ることはできません。しかし、だからこそ私たちは「救い」をいただいて、「救いによって」装わせていただくのです。