2023.4.2みことばの光
先週の夕拝ではヨハネの福音書16章を学びました。最後の晩餐の席でのイエス様の説教の終わりの部分です。16章7,8節に大切なことばがありました。
「しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」
「わたしが去って行く」とは、直近には逮捕されて十字架にかけられること。しかしそれだけでありませんでした。復活して昇天されること。昇天されたイエス様は、弟子たちの側からいなくなりましたが、父なる神様にお願いして、もう一人の助け主、聖霊なる神様を天から送ってくださいました。それが本当に実現したことの証拠は、今日、私たち信じる者が自分の罪を理解し、救い主イエス・キリストを、私の救い主として受け入れていることから、はっきりとわかります。聖霊によるのでなければ、誰も、主イエスを、私の救い主と告白することはできないからです。
9節「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」聖書によれば、人類は最初の人アダムが罪を犯して以来、みな罪人です。しかし、神との関係を断たれた状態で生まれた後の時代には、この記憶も知識も伝達されていません。それで人は自分が罪人であることを簡単に認めることはできず、ましてイエス・キリストが贖いを与えてくださる救い主であることなど、なかなか信じることはできないのです。弟子たちも聖霊が注がれるまでは、思い違いを悟りませんでした。イエス様が地上の王になることを期待しており、十字架で、惨めな死を遂げた時には、どう理解したら良いのかわからず、悲しみに耽る暇もありません。次に殺されるのは私たちかと、一つところに集まって、怯え、縮こまっていたのでした。
彼らを力づけたのは、復活のイエス様でした。しかしそれだけでありません。復活のイエス様が天に昇られたからこそ与えられた聖霊は、すべての真理を説き明かし、使徒たちはようやく信仰に立つことができました。聖霊はいつでもどこでも信じる者に必要な助けを与えてくださいます。イエス様がみわざを終えて、地上を去られたからこそ、聖霊なる神様は、いつでもどこでも、信じる者と共にいて、必要な助けを与えてくださるのです。