2023.8.20みことばの光
8月13日は平和朝礼拝、宣教区平和夕拝を行いました。夕拝では『戦争と平和主義』(いのちのことば社刊)に掲載された山口陽一師の小論より、「クリスチャン青年、林市造・本川穣治の神風特攻と信仰」を取り上げ、さらに讃美歌『善き力に我囲まれ』を作詞したボンヘッファーの信仰と生涯の歴史的背景を学びました。
林市造の姉、博子によると、市造の愛唱讃美歌は現行讃美歌337番。その歌詞はこうです。
一節 わが生けるは 主にこそよれ 死ぬるもわが益 またさちなり(ピリピ1:21より)
四節 主のためには 十字架をとり よろこびいさみて われはすすまん
もう一人のクリスチャン特攻兵、本川穣治もこの讃美歌を愛唱歌としており、時代精神を表す歌詞だったのであろう、と山口師は述べています。
最初に紹介されているのは林市造、1945年3月31日の母親宛の手紙。「お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときがきました。(中略)ともすればずるい考へに、お母さんの傍にかへりたいといふ考へにさそはれるのですけど、これはいけない事なのです。洗礼をうけた時、私は『死ね』といはれましたね。アメリカの弾にあたつて死ぬより前に汝を救ふものの御手によりて殺すのだといはれましたが、これを私は思ひ出して居ります。すべてが神様の御手にあるのです。神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。エス様もみこころのままになしたまへとお祈りになつたのですね。私はこの頃毎日聖書をよんでゐます。よんでゐると、お母さんの近くに居る気持がするからです。私は聖書と讃美歌を飛行機につんでつヽこみます。(中略)お母さん、でも私の様なものが特攻隊員となれたことを喜んで下さいね。死んでも立派な戦死だし、キリスト教によれる私達ですからね。でも、お母さん、やはり悲しいですね。悲しい時は泣いて下さい。私も悲しいから一緒に泣きませう。そして思ふ存分ないたら喜びませう。私は讃美歌をうたひながら敵艦につヽこみます(後略)。」(『ある遺書』204~214頁)姉の博子は、市造の遺品が届いた日、「柳こうりが届けられて日記を読んだ母が大学ノートを畳に投げつけて『母チャンが云わんことじゃない』と泣きくずれ、終戦の日には、気の長い穏やかな母が、決然と『大西中将には死んで頂く』と叫んだ」と記している。特攻を発令した大西瀧治郎は、敗戦の翌日、割腹自殺した。私たちは「生きることはキリスト」(ピリピ1:21)と語ったパウロの言葉が、このような死を肯定することばなのかどうか、よくよく考え、理解する必要がある。