2023.7.9みことばの光


 先週の祈祷会は「聖書に聴く」でしたが、牧師が間違えてしまい詩篇49篇を学びました。(ごめんなさい。今週は続けて詩篇50篇を学びます。)
 第49篇は「知恵の詩篇」です。礼拝の中には神からのみことばを聴いて思い巡らし応答する要素がありますが、この詩篇はその「思い巡らし」に相当すると言えるでしょう。
 1?4節は序文です。聞き手は誰か。「すべての国々の民」(1節)です。聖書は選びの民イスラエル(旧約)や教会の信徒(信徒)に語りかける言葉がありますが、この詩篇の知恵は教会の垣根を超えて、分け隔てなく、誰もが学べる言葉です。共通のテーマ、人生、いのち、死について語っているからです。お金持ちであろうと貧乏な人であろうと(2節)、誰にでも平等に訪れる「死」がどのようなものであるか、悟って生きることは、賢い生き方につながるのです。私たちは元気なうちは死についてあまり考えることがありません。向き合っても仕方がないと考えていることがありませんか。しかし聖書は死を見据えて、賢い生き方があると教えているのです。しかも「わざわいの日々に恐れ」(5節)なくてよい生き方を教えているのです。
 詩人は、6節、財産やお金に安心を見出している人々に注目します。しかし7節8節、金で人を贖うことはできないと断言します。すべての人が罪人であり、永遠の滅びに至る道から贖い出されなければ、永遠に滅んでしまうからです。死後の行き先について、確かな希望を持っていないということは、金でこの世の生活の安全を確保しても、愚かな結末に至るということなのです。8節「たましいの贖いの代価は高」い。これは、罪人が罪人のたましいを贖うことはできないからです。旧約時代の動物犠牲は傷のない動物でした。罪のないものだけが罪人の身代わりになることができるからです。12節、この詩篇はすべての人に訪れる人生を終わりを見据えます。「人は栄華のうちにとどまれない。人は滅び失せる獣に等しい。」誰もが死ぬ、このことにおいて、人間は動物に勝るものでない。しかし人間には別の道があるのです。
 聖書がはっきりと語る希望が15節にあります。「しかし、神は私のたましいを贖い出し、よみの手から、私を奪い返してくださる。セラ」神は私たちのたましいを永遠のいのちへ導いてくださる方なのです。この悟りを心の確信として、神に信頼し、永遠の希望を持って今を生きる人は、日常の生活が違ってくるのです。