2023.2.5みことばの光
先週の祈祷会は聖書に聴く。詩篇110篇を読み、いただいた恵みを分かち合いました。この詩篇は詩篇中最も重要なメシヤ詩篇(キリストを預言している)です。1節@の注を見るとわかるように新約聖書中最も多く引用されています。それは、救い主、メシヤ、キリストとしてのイエス様の職務について、父なる神様が宣言しておられることを、王であり、詩人であるダビデが聖霊に導かれて、見て、聞いて、記した詩篇なので、この詩篇の中に、イエス様の為してくださったみわざ、今も為し続けておられるみわざが記されているからです。
1節「主は私の主に言われた」とは、父なる神様が、ダビデの主であるお方キリストに言われた、という意味です。主イエスはこの詩篇を引用して、キリストはダビデの子孫であるだけでなく、ダビデの礼拝する主なるお方なのだということをユダヤ人たちに向かって強調しました。(マルコ12:36,37)「あなたはわたしの右の座に着いていなさい。」イエス・キリストが父の右の座におられるということには、五つの意味があります。@その座はいかなる御使いよりも上位の御子の座である。(ヘブル1:13)Aユダヤ人が殺したイエスを、神は天に上げた、ということ。(使徒5:30,31)Bその方は罪をとりなす仲保者である。(ロマ8:34)C御業を終えたしるしとして右の座におられる。(ヘブル10:11-12)Dそこで御子は敵の最終的降伏を待っておられる。(ヘブル10:13)私たちはイエス様が救いの御業を終えられ、今、私たちのためにとりなしの祈りをささげていてくださるので、信じて、赦しと命を確信することができます。父の右のおられる御子は、何もしないで終末を待っているのではなく、すべてを治める支配権を父と共有して、歴史を完成に導かれるお方なので、私たちは、現実のどのような暗闇に対しても希望の光を持ちながら歩むことができるのです。信じる私たち神の民は「喜んで仕え」(3節)ます。聖なる輝きが、主のために戦う戦士たちを輝かせています。主ご自身の力強さは、いつまでも、若さ、新鮮さ、聖さを失うことがありません。
1節はキリストの王としての戴冠の宣言、4節はこの方がメルキゼデクに等しい永遠の大祭司であることの宣言です。どちらも主(ヤハウェ)なる神御自身の言葉による宣言をダビデが聞いています。真の王なる祭司、ダビデの主なるキリストが、御怒りの日に地上の王たちを打ち砕かれるのです。「広い地を治める首領」は人の目には強大で誰もとどめることができないように見えますが、神に召された真の王は、地の首領を打ち砕きます。
7節、真の王の戦う姿が、その途中で描かれて詩篇は中途半端に終わるように見えますが、これは、キリストの戦いが、今、継続中であることを示しています。主は完全な神にして完全な人なので、私たちと同じように渇きを経験することがお出来になります。そして、今なお、世界中でみわざを進めておられるのです。