2023.1.22みことばの光


 詩篇33篇は1節「正しい者たち、主を喜び歌え。賛美は、直ぐな人たちにふさわしい。」という言葉が前篇の最終節とほとんど同じです。32篇は罪赦された者の幸いから賛美の招き。これを受けて33篇は賛美への招きから賛美する理由を経て主の恵みを待ち望む祈りに進んでいきます。

 芸術においては、作者の人格と作品の関係はどうなのかということが問題になります。教会音楽の偉大な作品をいくつも作曲したJ.S.バッハは優れた信仰者だったのか、信仰は関係ないのか。その音楽が多くの人々に影響を与えるほどに、バッハは優れた信仰者であったという人から、音楽と信仰は関係ないという人まで理解は多種多様です。そして、信仰は心の問題ですから、人間はあれこれ想像することはできても、本当のところをすべて知ることはできないといえるでしょう。しかし詩篇の詩人は、神の前に立って、人々を礼拝・賛美に招いています。人が問わなくとも、人の心を見られる神の前に、私たちの心が正しいか正しくないかは、問われる、そのことを私たちは礼拝者の心得としてわきまえている必要があるのです。礼拝の前に「今日も私の心が、あなたの贖いによって清められたものとなり、あなたに喜ばれる礼拝をささげうる者とならせてください」と祈ったら良いかもしれません。素直な心も大切です。「イエス様が私の罪のために死んでくださったならば、私たちは自分の罪に、もはや悩まない!救いの神に感謝!」喜びに満ちて礼拝をささげましょう。2節にはヘブルの詩の技法のゆえに2種類の楽器を用いることが命じられています。2種類だけでなく様々な楽器をふさわしい用途に用いることが聖書的な賛美です。3節には「巧みに弦をかき鳴らせ」と器楽演奏のテクニックについての言及もあります。歴代誌には熟練した奉仕者が礼拝音楽に携わった記録がり、しかし、熟練者もそうでない弟子も交代で奉仕を担ったということは教会奉仕の大切な原則です。達人も、達人でない人も、交代で奉仕にあたる。しかし自分の巧みさを磨きつつ。

 そして4節から、詩人は賛美する理由、主の素晴らしさを、順序正しく歌い上げます。第一は主のみことばの真っ直ぐさ。人間のねじまがった言葉と比較すると、主のことばが偽りなく、そして、みわざに続く、実現することばであることが思い出されるでしょう。5節「主は正義と公正を愛される。」世の中を見渡すと、どこに正義があるのか?と呆れるような現実社会がありますが、天の神様は必ず不正を正されるお方です。悪がはびこる時代もありますが、悪者は最終的には滅びます。「主の恵みは地で満ちている。」環境汚染が日々進んでいる現代でも、神の造られた世界は、なお、良いものとして私たちに沢山の恵みを与え続けているではありませんか。神がこれをご自分の「ことばと霊」によって創造したのです。