2023.10.8みことばの光
詩篇59篇、試練の中のダビデの祈りが続きますが、1節の祈りは、このような人間同士の争いから「私を助け出し、一段高い所へ、私を導いてください」と祈る祈りのように聞こえます。私たちは、目の前の人を敵としてしまうことで、問題をより難しくしてしまう場合があります。人間を敵とするのではなく、本当の問題に目を向けることができるように、神によって「一段高い所」に引き上げていただき、落ち着いて問題を考察し、対処できたら、解決方法が見えてくるかもしれません。砦なる神は、守られた高い所に私たちを置いてくださいます。
ただし詩人の向き合う相手は、確かに「不法を行う者」「人の血を流す者」(人に危害を加える意図をもって行動する人)でした。彼らは、神の喜ばない悪を行っていることが明らかでした。それは祈りにおいて訴えるべき罪状です。他方、3節、私の無実も、神に訴えるべき状況です。人間は皆罪人ですが、この事件において無実である、ということは、神に守られる理由になります。5節「すべての国」が登場するので、この詩篇が完成したのはダビデの即位後と言われています。個人的な試練から救われた経験が、諸国ひしめく国際政治の中での彼の働きに力を与え、王としてのダビデは、かつての経験のゆえに、正義の神の正しい裁きを信頼しつつ祈り、責務を担う人となりました。
6節には14節で繰り返される句があります。59篇全体が2節からなる賛美歌と捉えることができます。同じ繰り返しがある一方で、だからこそ、その後の展開の違いも重要です。6、7節では身近に迫った敵の姿が、詩人を苛立たせますが、8節で傲慢な人間を嘲笑される神を思い出した時に、9節、詩人は敵ではなく、神を注視する信仰の姿勢に導かれます。「砦なる神」この方が、信じる者を、争いの場から引き上げ、一段高い所に置いてくださるのです。
霊的に引き上げられた詩人は10節、恵みの神が迎えに来てくださる光景を夢見ました。新約聖書では主イエスが、放蕩息子を迎える父の姿を、たとえ話の中で見事に描きました。恵みの神の愛は、確かで、力強いのです。11節の不思議な言葉は、敵や試練の存在が神の民の警告として用いられることを示しています。信じる者が、主に従い続けなければならないという緊張感を保つために、様々な問題が存続し続けるのです。そして試練は信仰者を神に結びつけます。祈りつつ逃げおおせたダビデは16節、朝明けに、主を賛美する者となりました。