2023.6.11みことばの光


 先週の祈祷会は詩篇46篇でした。宗教改革者マルチン・ルターの作詞作曲による讃美歌"Ein' feste Burg ist unser Gott"(「我らの神は堅き砦」あるいは「神はわがやぐら」)に霊感を与えた聖書の言葉でもあります。
 原歌詞の日本語翻訳がウィキペディアに掲載されていて味わうことができます。以下重要な点を挙げます。
 第一は、1節の終わりが人間の情けない状態を容赦なく描いている点です。4行目までは詩篇を反映した神の助けに対する確信が歌われていますが、5行目から、私たちのすべての試練の背後にある敵が登場します。「いにしえの悪しき敵」とは、人類の始まりの時から人間を誘惑し罪を犯させたサタン(悪魔)のことです。今日、私たちが出会う試練も、私たちを失望させ、落胆させ、間違った方向に導くサタンの企みを見抜き、罪に抵抗することが大切ですが、ルターが発見した重要な真理は、讃美歌1節の最終行「地上の存在でこれに勝てる者はおりません。」という事実でした。人間には、悪に勝つ力が無い、無力である。これがルターの到達した確信でした。カトリック教会の修道士であったルターは救いを得るために修行を積むのですが、神に近づこうとすればするほど、自分の努力によっては神の前に義とされないことを見出すことになりました。絶望の中で聖書を紐解くと、聖書はイエス・キリストを信じる信仰による義、信仰による救いを教えており、自分の力によらない救いを教えていたのでした。
 第二のポイント。第一のポイントの自分の力に絶望するからこそ、2節の「私たちに代わって戦ってくださる方がいます」この方に信頼することが大切です。「その御名はイエス・キリスト」ルターにおいては詩篇が新約聖書の救いの成就と分かち難く結びつき、私たちの「避け所」、「力」、「強き助け」は、イエス・キリストなのだということが明確になります。詩篇46篇には自然災害と戦争という私たちを根底から揺さぶる二種類の大きな災いが取り上げられていますが、これら一つ一つを読み、祈りとして味わう時に、大災害の時に信仰者を守り続けた神のみわざが思い出されます。葦の海に投げ込まれたエジプト軍、ヒゼキヤ王の時代のアッシリアの退却などなど。詩篇は、自分の祈りとして唱えると、心に変化が与えられます。
 現代社会の中で、終わりのない問題、戦争のニュースを聴かされると、神様は本当におられるのかと失望しそうになりますが、「主は地の果てまでも戦いをやめさせる。」(詩篇46:9)そのようにしてこれまでも歴史に関わって来られた主のわざが、私たちの時代にも行われることを信じて、祈り続けるものとなりましょう。