2023.5.7みことばの光


 私たちは聖書通読誌マナでテサロニケ人への手紙第一と第二を読みました。テサロニケはギリシャで首都アテネに次ぐ2番目の大きな都市、中央マケドニア、またマケドニア・トラキア行政管区の首府です。2011年の国勢調査による統計で、テサロニケ自治体の人口は32万、隣接自治体で構成されるテサロニケ大都市圏の人口は100万。バルカン半島では、イスタンブール、アテネ、ブカレスト、ソフィア、ベオグラードに次ぐ6番目の都市です。経済、産業、商業、政治の中心であると共に南東ヨーロッパの交通の一大拠点で、テサロニケ港はギリシャや南東ヨーロッパの後背地にとって重要な役割を果たしています。
 町は紀元前315年にカッサンドロスによって創建され、市内には多くの著名なビザンティン建築が残されています。聖ディミトリオス聖堂は5世紀に創建されたギリシャ最大のバシリカ式教会堂で1988年にユネスコの世界遺産に登録されました。
 パウロは第二回伝道旅行の際、マケドニアに渡り、まずピリピで、次にテサロニケで伝道しました。三回の安息日にわたって福音を語った結果、信じる者が起こされましたが、ユダヤ人の妬みを買い、暴動が起き、一行は危険を避けてべレアへ行きます。パウロはアテネに進みますが、テサロニケのことが気にかかり、テモテを派遣し、コリントで彼と落ち合い、報告を聞きます。テモテの報告によると、テサロニケの人々は、パウロの教えを誤解し、キリストはまもなく再臨するのだから働く必要はないと考え、働くことをやめていました。(一の4:11、二の3:10-12)またすでに死んだ者はキリストの再臨にあずかれないと考え、悲しんでいる遺族がいました。(一の4:13-18)さらに、異教的生活に戻ってしまう者もいました。(一の4:1-8)テサロニケの人々はすばらしい信仰と愛を持っており、パウロを喜ばせましたが、パウロは彼らを励まし、問題への指導と解決を与えるために、二通の手紙を書いたのでした。第一の手紙の5章1節でパウロは「主の日」すなわち主イエスが来られる再臨の日の時と時期について、書き送る必要はない、と言っています。「主の日は盗人のようにやって来ることを、あなたがたはよく知っている」からでした。それは知らない人には突然ですが、知っている人が驚くことはないのです。4節「あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。」5節「あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。」信じる者は光の子どもとされ、真理の光、救いの光、導きの光を持ち、守られている存在なのです。