2023.11.12みことばの光


 聖書の矛盾しているように見える言葉には、真実が隠れています。詩篇62篇も「黙って神を待ち望む」と言いながら祈りの言葉はやむことがありません。何に沈黙し、何を思い巡らすか、沈黙は「ただ黙ること」ではないと教えられます。詩人が黙っているのは、敵に対する無用な言い返しが不要だということです。しかし言い返さないからといって神に向かって祈らずにいるわけではないのです。また自分の中で祈り、思い巡らす作業も、やめていないのです。
 敵に対しては口をつぐむ詩人が、繰り返し強調しているのは、「ただ神を」待ち望むこと、「神こそ」救いということ、5節、6節でも原文で同じ感嘆詞"アク"が繰り返されているので、非常に印象的です。「真に神だけ」に期待を置いているので、悪者の悪事を冷静に眺めることが可能になります。悪者は、一人の人を大勢でよってたかって倒そうとする卑怯者です。正しい者が多勢に無勢では、気が気で落ち着けません。しかし悪者の卑怯さと狡賢さを、神は打ち砕かれるのです。4節には高い地位にいる人を引き摺り下ろそうとする企みも描かれています。正攻法では勝てませんから「偽り」「嘘」で近づくのです。「口で祝福し、心で呪う」正しい人は愚かなほどに正直なので、悪者が平然と嘘を語り、善人を陥れる様子は、腹立たしい限りです。しかし、そのようなことに腹を立てて声を上げる必要はない。7節、救いと栄光も「ただ神に」あるからです。本当に価値あるものを手に入れているか、これが問題です。
 私たちはキリストの十字架と復活によって罪の問題を解決していただきました。救われ、永遠の命を与えられました。どんなことがあっても私たちと神様の関係は破壊されることなく、私たちは神の子として永遠のいのちに至ります。
 救いをいただいていない人間の空しさについて、9節、10節は語ります。神に造られた人間が、神から切り離されたままでいるなら、神との関係を取り戻さないなら、この世で権力を振るっても、その富が実を結ぶように見えても、空しいのです。
 11節、力は神のもの。ダビデは地上で権力を与えられました。ですが与えられた力を行使しようとする時、「それはおまえの力ではない。神が今おまえに委ねているに過ぎない」と教えられたのでしょう。そして12節、力以上に重要な「恵み」も神がくださるものと思いだしています。恵みとは、ヘセド、契約の愛です。神様は信じる者に約束してくださいました。この約束された恵みが、真実な神のゆえに、揺るがず、信じる者を支え、救うのです。