2022.11.27みことばの光
詩篇26,27,28篇は小さなグループを形成している三つの詩篇です。礼拝の場について言及があり、26篇で詩人は祭壇の周りを歩き感謝の声を上げました。27篇では敵の脅威の中で、主の家に住むことを切に求め、賛美を歌う日を思い描き自分の心を励ましました。28篇では手を聖所の奥に差し伸べて助けを叫び求めます。彼が恐れたのは、敵が彼を害することではなく、彼が悪者と共に滅びることでした。ダビデはいつも主と共に歩み、罪を犯す時には悔い改め、救いを確信していたのではないか、と考えるのですが、彼の晩年に犯した過ちが思い出されました。歴代誌第一21章の人口調査です。これはサタンのそそのかしによるもので、側近のヨアブは疑問を呈しますがダビデは調査を断行させます。
イスラエルが打たれたとき、ダビデは自分の過ちを悟り、神に罪を告白し、咎を取り去ってくださいと願います。主の手に陥らせてください、とも願いました。するとイスラエルに疫病が下されることになります。ダビデは、罪があるのはこの私です。あなたの御手が、私と私の父の家に下りますように、と願うと、祭壇を築くことが命じられ、全焼のささげ物が献げられると御使いはさばきの剣をさやに収めたのでした。
人口調査がなぜ神の御心を損ねたのか、行動してはじめてわかった過ち。こういう事件があったのです。いつも神と共に歩んでいるはずの、あの信仰の熟練のダビデが、王としての何気ない政策の中で、結果としては国民を災いに招く大失態を犯した。それは心に責めを覚える失敗であったと思われます。28篇の1節や3節のさばきを受ける者たちと一緒に処罰を受けることこそふさわしいとも思われたことでしょう。
しかし3節後半から彼は自分が滅ぶべき悪人と違うのだということを語ります。彼は悔い改めていました。他方、悪者は悔い改めを知らず、平和を語りながら隣人への悪い企みを心の中に培う二枚舌、偽善で悪を隠し、その実は悪を抱えて反省のない者なのです。
ダビデは主の前に真心から素直なへりくだりをもってあわれみを求めました。彼の願いは聞かれます。主は信じる者の願いを聞いてくださるお方なのです。主の赦しの恵みを体験したダビデは民のためにも信じて祈りを献げていくのです。「彼らの羊飼いとなってください。」