2022.9.4みことばの光


 先週の祈祷会は聖書に聴く。第二コリント11章を読み、恵みを分かち合いました。この手紙にはパウロの感情が非常によく表れています。背景がわからないと理解しにくいところがありますが、すべてはコリントの教会の信徒たちの信仰の成長を願ってのことでした。パウロはこの時期、結局、三度コリントを訪問し、四通の手紙を書いています。その内の二通が現存の二つの手紙です。

 パウロは、11章1節で「私の少しばかりの愚かさを我慢してほしいと思います。」とあえて語り、平常ならば語るべきでない誇りを、彼らに示します。それは10章13,14節にあるように「初めにコリントに宣教したのは私である」ということであり、また11章12章に記されている、ユダヤ人としての誇り、神のしもべとしての誇りでした。

 コリントの教会は、偽教師たちが来て、信徒たちを惑わしている問題がありました。11章4節「私たちが宣べ伝えなかった別のイエス」「異なる霊」「異なる福音」。今、統一協会が世間を騒がせていますが、彼らも聖書を用いながら、全く異なる教えを語り、人々を洗脳し、多くの家庭に被害をもたらしています。聖書を正しく読み、正しい信仰に立ち続けることが大切です。と同時に、このような危険は今も昔も変わらず存在していることも教えられます。14節「しかし、驚くには及びません。サタンでさえ光の御使いに変装します。」15節「ですから、サタンのしもべどもが義のしもべに変装したとしても、大したことではありません。彼らの最後は、その行いにふさわしいものとなるでしょう。」

 パウロは信用を得るために、さらに誇りを語ります。21節「愚かになって言います」パウロは、コリントの信徒のために、愚かになることさえいといませんでした。彼らが初めから聞いている福音に立ち続け、健全に成長するためでした。