2022.1.2みことばの光
私たちは2021年ヨハネの手紙第一4章10節を主題聖句として歩みました。私たちが神を愛する前に、神は私たちを愛し、御子を遣わしてくださいました。それで私たちはどのような時にも神の愛を信頼して歩むことができます。新しい年はこの神様の愛に応えて一歩踏み出すものとなりましょう。
「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」ローマ人への手紙12章1節
使徒パウロはローマ人への手紙1章から11章まででキリスト・イエスによる神の救いの計画と実現を語り尽くしました。それらを踏まえて12章1節の「ですから」という言葉がありキリスト者の倫理が語られます。私たちが如何に行動し、如何に生きるべきか、その土台は救いのみわざにあります。救いを成し遂げてくださったイエス・キリストから決して目を離すことなく、その愛を土台に行動するものとならせていただきましょう。
パウロがキリスト者の倫理を語る時に「勧めます」と言ったことは重要です。別訳では「お願いします」とも訳せる言葉です。キリスト者の行動は決して強いられて嫌々ながら行うものではなく、イエス様に現された神の愛を知ったことから生まれる自発的な行動だからです。パウロ自身もかつては迫害者であったのに、神の憐れみを受けて復活のイエス・キリストを知り、恵みによって神のしもべとなりました。人々に偉そうに命じることはなかったのです。
「あなたがたのからだを?生きたささげ物として献げなさい」という勧めは、旧約時代の動物犠牲においても死んだり傷のついた動物を献げることは厳しく禁じられていたことと関係しています。私たちのためにはイエス様が命を献げてくださいました。それで私たちは生きたまま、自分のあるがままを丸ごと献げるのです。それは「神に喜ばれる、聖なる」ささげ物であることが期待されました。神に喜ばれるためには神の御心を知らなければなりません。また自分自身を神のために聖別されたものとしてささげることが期待されました。このようにして私たちは神に喜ばれる礼拝を献げるものとならせていただくのです。