2022.10.16みことばの光
「まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。
私はいつまでも 主の家に住まいます」 詩篇23篇6節
先週の祈祷会は詩篇の愉しみ、23篇を学びました。教会福音讃美歌188番にはスコットランドのジェシー・アーヴァインによる作曲が掲載されています。エリザベス女王の葬儀の折に用いられていました。
詩篇はここまで主なる神様を様々な言葉で喩えてきましたが「羊飼い」という喩えは、親密さ、神様のご性質、私たちへの愛において、比類ない喩えとなっています。「羊飼い」なる主によそよそしさはありません。「羊」と共に住んでくださいます。そして「羊」を導き、癒し、守る、「羊」にとって全てとも言えるお方です。忠実な羊飼いは、ただの雇い人と違って、心から羊のことを心配し、羊の気持ちになって行動します。そうでなければ羊飼いの仕事の責任を果たすことはできないからです。そのように神様は、ご自身の群れと結び合わされることを望まれ、群れを引き受けられたのです。
「主は私のたましいを生き返らせ、御名のゆえに私を義の道に導かれます。」「わたしのたましい」とは「私の命」「私自身」。「生き返らせ」は、癒し、回復の意味から、悔い改め、回心、霊的刷新までも意味します。神様は、人がどんなに霊的にねじ曲がっていても、病んでいても、深いところまで新たにすることのできるお方で、そのようにしてくださるのです。また、羊が義の道を行くことに羊飼いは責任を持ちます。羊が幸いな道を行くことで、羊飼いの名は誉れ高いものとなるので、主はご自身の名のゆえに、私たちを導かれます。エゼキエル書の36章20節以降に「御名のゆえに」という句の持つ深い意味が詳述されています。民が汚した御名を、主は惜しみ、御名のために民を導き、救いを行なわれると誓っておられるのです。
「いつくしみと恵み」は神様の善意と契約の愛のことです。神様の善意は積極的で約束に基づいています。「いつまでも」の直訳は「日々の長さまで」と有限なのですが、永遠の主の家に住むことは永遠に続くことなので、「永遠に」と理解しても曲解ではありません。