2022.10.23みことばの光
「門よ おまえたちの頭(かしら)を上げよ。永遠の戸よ 上がれ。栄光の王が入って来られる。栄光の王 それはだれか。万軍の主 この方こそ栄光の王。セラ」詩篇24篇9-10節
先週の祈祷会は詩篇の愉しみ、24篇を学びました。ダビデの時代に契約の箱がエルサレムに運び込まれた時の礼拝が思い起こされ、その後、歴代の王の即位式で歌われ、今日の私たちにとっても、礼拝の心得を記した詩篇として学ぶことができます。
1、2節は、私たちの礼拝すべきお方が、世界のすべてのものの真の所有者であり、私たちは豊かな世界、固く立てられた大地の恵みの上に生かされていることを覚えさせられます。私たちのために必要な全てのものをお造りになり、私たちを生かしておられる神様に、私たちは礼拝をささげ、感謝をささげて日々を歩むべきです。
それで礼拝者は礼拝のために整えられなければなりません。3?6節はその資格を問うています。神の御前に立つためには、手も心もきよく洗われていなければなりません。「そのたましいをむなしいものに向けず」とあります。過ぎゆくこの世の富に心を奪われているようでは、礼拝者にふさわしい資格が失われてしまいます。天を見上げ、神を仰ぎ、永遠の時間の中で価値の失われないこと、神を愛し、隣人を愛することを切に求めるべきです。その時、神と格闘したヤコブが祝福の約束を得たように、私たちも神様の祝福にあずかるのです。
7?10節は、神の救済の歴史のクライマックスです。出エジプト以来、天幕で運ばれて来た神の臨在を表す契約の箱が、いよいよエルサレムの丘に到着しました。民のうちに神ご自身が住まわれる幸いな時の到来でした。この詩篇が伝統的に主の昇天の日に読まれるのは、イエス様が、陰府(よみ)を破り、墓から出て甦られ、天に昇って神の右に着座されたからですが、この詩篇をアドヴェントに読むのがふさわしいと指摘する人もいます。神の御子が天から降り、私たちの住む地上に現れてくださったこと、共に住むものとなってくださったことも、主の入城に等しい出来事だからです。
私たちは、心を頑なにしてはなりません。心を柔らかく開き、主を迎える礼拝をささげるものとならせていただきましょう。