2022.7.17みことばの光
先週の祈祷会は「詩篇の愉しみ」16篇を学びました。この詩篇の主題は11篇と等しく「主に身を避けること」です。詩人には試練があり、彼は「神よ 私をお守りください。」と祈り始めます。「あなたに身を避ける」ということは幾つかの信仰を告白することでした。
2節、詩人は「あなたこそ私の主」と信仰を告白します。教会福音讃美歌353番には「あなたこそわが望み」というアイルランドの旧い讃美歌が掲載されています。その1節「あなたこそわが望み、たぐいもなきわが主よ、昼も夜も輝く、わが光わがすべて」。真の神にのみ従う信仰者は他の何者にも支配されることがありません。自由です。ですからこの神様に従うことは私たちの幸いなのです。現実の生活の中では様々な関係の中を生かされていても、主に従う私は究極的には自由であり、何も恐れる必要はない(神が生かしてくださるから、守ってくださるから)ということを忘れないようにしましょう。
3節、詩人は信仰共同体の構成員のすばらしさに目を留めました。「地にある聖徒たちには威厳がある」のです。イスラエルの同胞。ダビデはサウル王からの逃亡時代に、彼の周りに集う勇者たちを仲間として集めました。また神殿礼拝の準備の段階では、イスラエルの名だたる音楽奉仕者が当番で国家的礼拝を担う名簿に名を連ねました。信仰をもって神を礼拝する人々、神に従って戦う人々、一人一人に威厳を認めたのです。「私の喜びはすべて彼らの中にあります。」これが聖徒の交わりです。今日時代は変わり、私たちは新約の神の民、教会として共に歩む者です。人の見るところではなく、神様の視点でこの教会を見つめる必要があります。エペソ1章23節「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方の満ちておられるところです。」パウロは「キリストのからである教会に何の不足も無し!」と言い切っています。もし私たちが不足を感じているとしたら、それは求めるべきでないものを求めていることになります。必要なものを満たしていてくださるキリストの恵みを味わうべきです。キリストは与えてくださるのです。そして、私たちは与えられたので、与える者になることができるのです。また互いに仕えることができるようになるのです。我は聖徒の交わりを信ず。兄弟姉妹、互いに霊的な威厳を認め合い、共に歩む者とならせていただきましょう。