2022.1.9みことばの光


 先週の祈祷会は新年第一回目の「聖書に聴く」でした。ヨブ記20章を読んで教えられた恵みを分かち合いました。

 ヨブ記読解のヒントは42章7節の主の言葉にあります。「わたしの怒りはあなたとあなたの二人の友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかったからだ。」すなわちヨブ記の大半をなす対話部分において、ヨブの三人の友人たちの言葉は確かでないが、ヨブは確かであった、ということになります。20章においてはナアマ人ツォファルの言葉の、どこが確かでないのかということを読み取ることが基本となります。

 2節でツォファルは、苛立つ思い、心の焦り、3節では自分への侮辱があると語りますが、なにゆえでしょう。19章を振り返ると、看過できないヨブの言葉があります。6節、今知れ、神が私を不当に扱い、ご自分の網で私を取り囲まれたことを。牧師としてこのような言葉を語る未信者の方に出逢ったら、必ず反論を考えるでしょう。「神様は決してあなたを不当に扱ったりなさいません!」「真実な神様を信じましょう!」と言いそうになります。ツォファルが陥った過ちは、人を不当に扱わない神様が間違っているわけはないから、問題があるとするならば人間だろうと語ったことにあります。しかしヨブは罪ゆえに苦しんでいるのではありませんでした。彼は悪行のゆえに身に災いを招いているのではありませんでした。ツォファルもヨブも知らないところで、神様がサタンの試練を許されたことがヨブの災いの原因でした。そのことを知らずに得々と語ったツォファルは、ヨブの友人であろうとしながら、ヨブを苦しめることになってしまったのです。

 世の中には、悪を行えばさばきを受ける因果応報の原理が働く場面があります。しかしそればかりでないことが現実に起こってくる。犯人探しが問題を解決しない場面を私たちは教えられるのです。答えの出ない問題に悩む友人の真の友となる道を、ヨブ記を通して教えられたいと願います。