2022.4.24みことばの光


 先週の祈祷会は詩篇8篇。賛美の歌です。威光に満ちた神は「私たちの主」です。私たちとかけ離れて偉大な方ではなく、信仰のゆえに、契約のゆえに「私の神」「私たちの主」となってくださった「親密」なお方です。私たちと関係を結んでくださった主を力強く賛美しましょう。その「御名は全地に渡り」、「威光は天でたたえられています」。春が来て暖かな季節になりました。地に天にも神の被造物のすばらしさが溢れています。神様のお造りになった世界が神の栄光を表しています。造られた世界の美しさ、偉大さを覚える時に、それをお造りになった神様こそ、たたえられるべきお方であることを思い出しましょう。

 しかし神の栄光を表しているのは、偉大なものばかりでありません。「幼子たち、乳飲み子たちの口を通して」神は「御力を打ち立てられました」と詩人は語ります。聖書の中には小さい者が神の栄光を表した事例が幾つも記されています。ノアやアブラハムが神の声を聞いて神に従った時、彼らは広い世界の中でたった一人の信仰者でした。しかし彼らから神の民は生まれ出ることとなったのです。ダビデが巨人ゴリアテを倒した時、彼は兄弟の末っ子、まだ戦士になれない年齢で、武器は石ころでした。新約聖書では、幼子らこそ神の国にふさわしいとイエス様は教えられ、少年の五つのパンと二匹の魚を祝福して何千人もの人々のお腹を満たしました。エルサレム入城にあたって子ろばが用いられ、その時に祭司長、律法学者が子供たちに腹を立てると、イエス様はこの詩篇を引用され、子供らの賛美こそ神の誉を打ち立てるものと語られたのでした。敵対する者への応え、復讐する敵は鎮められたのでした。(2節)

 詩人は神の創造の作品である天、月、星を眺め、人とは何者、と問います。創世記1章によれば、人だけが神の似姿を持つものとされ、世界を正しく支配する務めが与えられます。自分は何者かと問い、神に疑問を投げかける私たちは、確かに神と語らうことのできる心、たましいを持った尊い存在なのです。しかし世界を正しく治めることは、イエス・キリストにおいて初めて成就します。今も私たち人類は世界を正しく治める務めを果たせずにいるのです。キリストに習う者としてへりくだらなければなりません。神様は人に尊い使命を与えておられます。神様の造られたすばらしい世界の中に、使命をもって生かされている「わたし」を覚えつつ神を賛美し、神様の御心にかなうものとならせていただきましょう。