2022.8.7みことばの光
先週の祈祷会は聖書に聴く。コリント人への手紙第一7章を読み、教えられたことを分かち合いました。コリントの町はローマ帝国第四の都市で経済的に繁栄していましたが、偶像礼拝も盛んで神殿娼婦がおり、道徳的に退廃的な風潮があり「コリント人のように振る舞う」という言葉は不道徳を行うことを意味するほどでした。教会にも分派、不品行の問題があり、パウロは第一の手紙の前にも手紙を書き送っていましたが、それでは足りず、コリントの教会から問題点についての助言が求められました。これに対する返答が今日『コリント人への第一の手紙』と呼ばれています。教会内の具体的な問題が論じられていて難しいところもありますが、使徒と信徒の間で、信頼に基づいた対話があることは、教会の健全さを表しています。
1節「男が女に触れないのは良いことだ」という言葉は、コリント教会にあった不道徳に対する過度な禁欲主義のことです。神様は人の男女の関係を否定などしておられません。パウロの言葉は質問に対する答えという背景があります。4節の「妻は自分のからだについて権利を持ってはおらず」という言葉は正しい解釈を必要としている言葉です。聖書の言わんとしているところは、3節4節と合わせて、夫と妻はそれぞれに互いに対する義務があり、平等であるということです。夫だけが権利を主張できるのではありません。夫もまた妻に明け渡さなければならない平等の義務があるのです。
38節で婚約者と結婚しないことが「もっと良いこと」とされているのは、26節の「差し迫っている危機のゆえ」という特殊なコンテキストがあります。迫害の危機が迫っている状況がありました。
そんな中、聖書通読誌マナの解説は17節に注目しています。「ただ、それぞれ主からいただいた分に応じて、また、それぞれ神から召されたときのままの状態で歩むべきです。」信仰における「私と神との関係」の側面が重要です。他人との比較ではありません。
結婚するしないにもそれぞれに導きがあります。神様が最善に導いておられる自分の人生を感謝して受け止める、その先に、それぞれの尊い人生が開かれていくのではないでしょうか。