2022.7.10みことばの光


 先週の祈祷会は「聖書に聴く」マルコの福音書9章を読み、教えられた恵みを分かち合いました。
 この箇所は「変貌山」の出来事に始まります。イスラエル随一の高峰ヘルモン山(2,814m)でイエス様の姿が変容します。これは8章27節から記されているヘルモン山南麓の町ピリポ・カイサリアでのペテロの信仰告白と共にイエス様の公生涯の折り返し地点を示しています。カイサリアは偶像礼拝、皇帝崇拝の町でした。もし私たちが有名な神社仏閣に行き、そこで信仰告白を迫られたら、少なからず躊躇することでしょう。それだけにペテロが為した信仰告白「あなたは生ける神の子キリストです。(マタイ16:16)」は、キリスト教会のよって立つ重要な土台と言えるものでした。主は「この岩(ペテロ、信仰告白)の上に教会を建てると言われたのです。

 この後、イエス様は三人の弟子を選び、山の高嶺を目指されました。するとイエス様の御姿が変わり、衣は非常に白く輝き、モーセとエリヤが現れたのでした。モーセは十戒をいただいた時、神様の栄光を反映して顔が輝くようになりましたが(出エジプト記34:29-35)、イエス様の場合は反射ではなく、ご自身が光輝く真の姿を持っておられ、それゆえその衣もまぶしく輝くことになったのです。モーセとエリヤは律法と預言者、すなわち旧約聖書を代表しています。イエス様の存在は旧約聖書のみことばの延長線にあるということです。さらに雲の中から響く神様の御声は、イエス様こそエリヤ、モーセに優る存在、父なる神様の愛する御子、神御自身に等しい存在であることを証しすることばでした。

 イエス様は公生涯のほとんどの時間、ご自身の神性を隠して過ごされ、他の時には私たちと全く同じ人であり、完全な人性をまとっておられました。
 この頃からイエス様は十字架の死と復活を教え始めますが、弟子たちは理解することができません。11節ではエリヤの到来について質問しました。12節のイエス様の返答は、旧約のマラキ書、イザヤ書などを土台に語られたのではないかと推測できます。バプテスマのヨハネが預言されたエリヤであることを教えておられますが、預言されたメシヤの存在について、この時、弟子たちが真実を深く悟ることはありませんでした。