2022.6.5みことばの光


 先週の祈祷会は「聖書に聴く」。ローマ人への手紙16章を読んで、恵みを分かち合いました。最初に登場するフィべはこの手紙を携え運んだ女性です。距離はおよそ1,200キロ。ケンクレアは東向きの港、コリントは西向きの港で隣町。フィべはコリントからローマを目指したことでしょう。彼女はローマの人たちの知らない人物でしたから、推薦の言葉が必要でした。教会の「奉仕者」フィべ。これは「執事」とも訳せる「ディアコノス」という言葉。ケンクレアの信徒の集いで、物心両面に渡ってよく働いた女性であったと思われます。「彼女は、多くの人々の支援者で」と書かれてあるからです。その上「私自身の支援者でもあるのです。」教会の中で助けを必要としている人を、フィべは分け隔てなく助けたのだ、その中で、パウロも助けられたのだということです。パウロと親しく他の人も助けた、というのと、少し意味が違います。こんな彼女を、信頼し、歓迎し、この手紙に書かれたメッセージをしっかりと受け取ってほしいというパウロの気持ちが込められています。

 その後には既にローマで暮らしているパウロの旧知の人々の名前が挙げられて、よろしくと挨拶がなされます。彼らがこの手紙の最初の読者となりました。教会ではやはり一人一人が大切で、その人にしかない賜物が与えられており、その人の果たす役目があったのです。プリスカはコリント出身のギリシア人、夫アキラはユダヤ人。一時皇帝の命令でローマを退去させられ、またローマに戻っていました。彼らは自分のいのちを犠牲にしてパウロのいのちを救う大変な経験の持ち主でした。ローマで家の集会を開放していたようです。ローマの教会には複数の家庭集会があったようです。アジアの初穂エパイネト、彼もローマに移り住んでいました。非常に労苦したマリア。彼女はローマ教会草創期のメンバーで困難を乗り越え高齢になっていたのではないかと思われます。パウロと一緒に投獄されたアンドロニコとユニアスという男女もいました。夫妻だったのか兄妹だったのか。彼らはパウロよりも古いクリスチャン。迫害者サウロのことも知っていたことでしょう。パウロが名前を呼んでいるのは、神様が私たち一人一人を覚えていてくださるから。私たちも私を尊いものと見てくださる神様の愛に応えて、キリストのからだなる教会を建て上げる一人とならせていただきましょう。