2022.7.31みことばの光
先週の祈祷会は「詩篇の愉しみ」18篇の前半を学びました。この詩篇は表題にあるように「主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った」詩篇です。ダビデは生涯、敵との戦いの中にありましたが、全て主に守られ、天命を全うすることを許されました。しかしまたこの詩篇はダビデの王としての歩みの絶頂期、バテ・シェバとの姦淫事件を犯す前の詩篇ではないかとも言われています。
2節3節でダビデは、主を「わが巌」「わが砦」「わが救い主」「わが岩」「わが神」「わが盾」「わが救いの角」「わがやぐら」「ほめたたえられる方」と9つの言葉でたとえています。野田秀先生は「信仰は、神をどのように理解しているかにかかっている、言い換えれば、どれだけダビデのように、「主はわが……」と言えるかということになる。」と言っています。私たちは、それぞれ、主をなんと表現することができるでしょう。
ダビデが様々な言葉で主を喩えたことからすると、救いの体験は一度きりのことでなく、繰り返され、そして、その都度ダビデは、巌のような神、砦のような神、様々な神様の守りを体験したことを想像させられます。それらの体験が一編の詩になるほどに、感謝を心に刻んだこと、私たちも神様から守られた体験をしっかりと記憶に刻み記念とすべきことを教えられます。なぜなら詩篇18篇は、ダビデ自身が、自分の体験を、イスラエルの歴史に重ね合わせて表現しているからです。
4節から19節のダイナミックな光景は、出エジプトの葦の海での奇跡、またシナイ山で十戒が与えられる時の山の鳴動を彷彿とさせる描写だからです。神はかつてイスラエルの民を、自然界を揺り動かして守り導かれた。それと等しいことを私の生涯にもなしてくださったとダビデは彼の人生にあらわされた神様のみわざを覚え、感謝しているのです。そして、それを自分だけの感謝とせず、神の民の讃美歌として提供した。神を仰ぎ見る神の民は、この歌をもって自分の感謝を神にささげるようにと詩篇を書いたのです。
ダビデの言葉を借りながら、私の人生に現れてくださった神様の恵みを、私たちも心から賛美するものとならせていただきましょう。