20.11.29みことばの光
先週の祈祷会は「イザヤ書を味わう」。イザヤ書40章以降に登場する「主のしもべ」について学び始めました。晩年のイザヤはおそらく妻や子供らに先立たれ、公の預言活動もままならない悪王マナセの時代を過ごしていたと思われますが、「主のしもべ」と呼ばれる全く新しいメシヤ像が見えてきます。ヘブル語では「エベド・ヤハウェ」。「働く」を意味する「アーバド」に由来する言葉ですが、名詞では「働く」という意味は薄く、関係に重点があります。一般的には「奴隷」「家来」「服従」の意味があり、謙譲語としても目上の人に呼びかける場合に用いられました。聖書においてはアブラハムが神の「しもべ」と呼ばれたことが注目されます。彼にふさわしい資格や働きがあったのでなく、ただ神が彼を選び、彼に与えられた約束のゆえに、彼は「しもべ」と呼ばれました。イサクもヤコブも、モーセ、ダビデも皆同じです。「しもべ」は神の契約に入れられた複数のグループのことを指し、彼らは時代を超えて神のしもべグループの一員です。私たちが「このしもべの祈りを聞いてください」と祈る場合、アブラハムの祝福、モーセの律法との二重の関係を持ちつつ神の御前に立って祈ることになります。
イザヤ書40?53章に出てくる「エベド」は(1)預言者(2)イスラエル(3)「しもべの歌」の集合説、個人説、流動説による理解があります。集合説ではイスラエルの民と考えます。個人説では歴史的人物、モーセ、エレミヤ、エホヤキン、ゼルバベル、律法の教師などを考えますが、証拠はありません。イザヤ本人と考えて読むことも魅力的な解釈です。
大まかな筋としては、かつて神の「しもべ」として選ばれた選民イスラエルが、神に対する忠実な歩みを全うできず国が滅び、しかし、真の「しもべ」イエス・キリストが現われ、神に従い通し、かつての「しもべ」をも贖ってくださったわけですが、次回以降イザヤ書に記された四つの「しもべの歌」を詳細に学んで行きます。