20.10.25みことばの光
先週の祈祷会は”イザヤ書を味わう”。p.133~
(1)紀元前701年のセンナケリブ侵入(2)アッシリア軍の敗退(3)センナケリブの暗殺、を学びました。イザヤ書36章、37章です。
第二列王記18章13節の部分はイザヤ書には記されていませんが、初めセンナケリブに対してヒゼキヤが銀と金を貢いでいます。イザヤ書38章、39章では、バビロンの使者に宝物倉を見せているので、ヒゼキヤの病いと癒しの記事は、センナケリブの時よりも前ということになります。そして、先には無条件降伏したのに、ラブ・シャケらアッシリアの将軍たちが来た時にはヒゼキヤは抵抗し、主の助けを祈り求め、アッシリアは退却することになりますから、イザヤ書36章1節と2節の間には、幾らかの時間の経過があり、国際情勢は変化したようです。
アッシリアの将軍たちがユダのことばで脅しの言葉を語ると、ユダの高官たちはアラム語で話してくださいと願います。言い返すことができず、罵る言葉がせめて民に聞かれないようにと願ったわけですが、ユダの陣営が弱り果てている様子がわかります。
しかしヒゼキヤがイザヤに助言を求めるとイザヤは「あのことばを恐るな」(37:6)と彼らを励まします。ヒゼキヤは主の助けを求めました。「生ける神をそしるために言ってよこしたセンナケリブのことばをみな聞いてください。」(37:17)ユダの神をあなどるアッシリアは打ち砕かれます。一晩のうちに主の使いが18万5千人を打ち殺します。ヘロドトスの『歴史』によるとアッシリアの軍隊がエジプト国境近くでねずみに荒らされたという記事があるそうです。ペストが流行したのではないかと言われています。無敵のアッシリア軍は敗退することとなったのでした。それが伝染病によることであったとしても、主は主に依り頼むヒゼキヤ王の祈りを聞かれたのです。そしてアッシリア王はニネベで偶像礼拝の最中に息子たちに殺されることとなります。恐怖が眼前に迫っても、主を信じる者には救いが与えられることを歴史が教えています。