20.8.30みことばの光
主は言われた。「わたしのしもべイザヤが、エジプトとクシュに対するしるし、また前兆として、三年間裸になり、裸足で歩いたように、そのように、アッシリアの王はエジプトの捕虜とクシュの捕囚の民を、若い者も年寄りも裸にして、裸足のまま、尻をあらわにして、エジプトの恥をさらしたまま連れて行く。」 イザヤ書20:3、4
先週の祈祷会はイザヤ壮年期(四十歳?六十歳)を学び始めました。北イスラエル王国の首都サマリアがアッシリアにより陥落したのがイザヤ四十歳の頃。さらにアッシリアがペリシテの町アシュドデを攻めとったのがイザヤ 五十歳の頃。この前後、主はエジプト、クシュ(エチオピア)以外にも周辺諸国に警告としての預言を与え、その言葉がイザヤ書13章以降に記されました。それぞれは今後詳しく学ぶことになりますが、その時の預言は言葉だけでなく、姿においても、神の言葉に従わない者の末路を示す、行為預言でした。イザヤは20章に記されたように、裸で裸足で歩くことを命じられ、戦争の捕虜とされる恥ずべき姿を人々の目に焼き付けたのです。
五十歳を超えた壮年期のイザヤが人前で素っ裸で預言する姿は、もし自分ならと考えると、とても神様の命令には従えない恥ずべき姿でしたが、神の警告を真剣に受け取ったイザヤは、この警告に聴かなければ、心底恥入ることになるのは、警告に聴かなかった人々になるのだと確信して神に従い、人々に警告を与える忠実な預言者として務めを果たしたと思われます。イザヤの預言は、自分を正しい人の側において高みから人々を批判することではなく、神に従わなければ恥ずべき結果を自分の身に招くことになるのだと、人々の行末を自ら演じる、恥も外聞も捨てた真摯な営みでした。この時期のイザヤの活動は、ヒゼキヤ王の善政に影響を与えました。