20.03.22みことばの光


 清野幸安兄の証。?教会設立40周年記念誌より? 私たちも1964年4月より新潟に転居し、教会に加入させて頂き信仰生活も恵みのうちにありました。ところが、6月には思いもよらぬ大地震の災害にあい、一時は恐れと不安でありましたが、主の助けと慰めにより立ち上がる事ができました。幸いにも、教会再建にも加えられた事が、感謝のうちに良き思い出となっております。私も戦争中は一年ほど兵役があり、閉鎖された長い生活から敗戦となり、悲惨な思いと解放された一途な喜びに、ただこの世の遊びに明けくれる生活でした。しかし、遊びの後の心の空しさは繰り返し重荷となり、平安のない毎日でした。そんなある夜、町の公民館で伝道集会を見て、友人とはじめてキリスト教のお話を聞くこととなり、反省する時に自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしていると示され、それから毎週の集会に誘われて続けるも、なかなか熱心になれず途中屈折もありましたが、牧師の祈りと導きにより決心し、救いを受けました。洗礼は翌52年3月学院において、車田師より受けました。全く意思の弱い者でありましたが、キリストを信ずることにより今までの罪から開放され、日々生活が喜びと感謝に変えられ、恵みを得たことは今でも忘れません。はじめて導かれたときの賛美が、聖歌599番の「目には見えねども」を歌っておりましたが、真実の神は見えないお方であると知り聖書を通してこそ、真理があり救いがあると知り、また「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」(ガラテヤ5:1)罪のとりことされた生活から、キリストを信じることにより解放され、救いの恵みに変えられたことを心より感謝しています。<中略>教会にあっては霊とまこととをもって礼拝し、自らを整えられ、神様に近づき共に祈り合い、何時も恵みを分かち合えるように祈ります。