20.9.27みことばの光


 先週の祈祷会「イザヤ書に聴く」は、モアブ(15-16章)、ダマスコ(17章)に対する宣告を学びました。モアブは死海の東側、北のアルノン川、南のゼレデ川に挟まれた地域です。ロトが姉娘によってもうけた子の子孫ですが、ルツを介してダビデの先祖となりました。イザヤの時代、権謀術策に忙しいモアブは必ず滅ぼされ、対して神の恩寵の約束によって建てられたダビデの家は不変であるとイザヤは預言しています。16:6は、モアブの高ぶり、不遜さ、正しくない自慢話しがさばきの原因であると告げています。超大国が脅威となる時代、モアブは根拠のないプライドに拠っておごり高ぶっていたのですが、自己欺瞞は国に滅亡を招いたのです。今の時代、日本の国、日本人も、どこに国民としての誇りを持つべきなのか、考えさせられるところです。

 ダマスコは今も昔も変わらない中近東の要衝。軍事上、商業上、重要な道路の交差する土地、でした。現在、長引く内戦に苦しむシリアの首都ダマスカスとして知られています。歴史的にはヒッタイトが没落した後、アラム人として聖書に登場し、イスラエルの統一期、分裂期、通じてライバルでした。シリアの将軍ナアマンの物語は有名です。

 新約聖書においては、使徒パウロがキリスト者を迫害してダマスコへ向かった時に、途上で復活のイエスに出会い回心に導かれ、ダマスコのアナニアを訪ねるよう命じられます。アナニアには『まっすぐ』と呼ばれる通りに行きサウロに会うようにとの主のことばがありました。『まっすぐ』という通りは今日存在するバーブシャルキー通りです。通りの端にはアナニアの家の地下貯蔵庫であった地下教会が存在しています。ダマスコの町は昔から占領者ごとに増築されたので、かつての遺跡は地下8フィートに埋まったまま発掘するのはほとんど不可能とされています。  
 17:6には打ち落とされてもなお取り残しの実が残されることが預言されました。国民の半数が難民となって家を追われているシリアの人々に1日も早い平和が訪れることを切に祈らされます。