20.8.23みことばの光
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、
主を恐れる、知識の霊である。 イザヤ書11:1、2
先週の祈祷会はイザヤ書11章の預言「エッサイの根」を学びました。7章、9章、11章はいずれもクリスマスの時期に朗読される救い主誕生の預言ですが、どれもイザヤの初期預言(20歳から40歳頃)に属するものの、歴史的背景は激変する時代であったことがわかりました。7章の頃はアラムと北イスラエル連合軍が南ユダ王国の脅威でしたが、9章の前後でアッシリアが北イスラエル、サマリアを滅亡させます。そして10章ではアッシリアの脅威がエルサレムのすぐそこまで迫っています。この状況の変化の中で、救い主メシアの誕生も次第に詳細が明らかにされていったのでした。
11章の預言で重要なことは、来るべき救い主が主の霊(聖霊)に満ちたお方であるということです。それゆえに知恵と悟り、思慮と力、主を恐れる知識が、救い主において完全に示されることになります。イエス・キリストの生涯を見ると、そのことがわかるのです。
「知恵」(ホクマー)の語源は「さばく」。物事を判断する総合的判断力のこと。ソロモン王は知恵の人で、その知恵は物事の判断、知識、詩情や文学的才能に現れました。救い主は彼にまさる知恵の人です。「思慮」と「力」は9章の預言と響きあっています。主の霊に満たされているゆえに、自ら助言者となる力ある王とでも言えるでしょうか。そして御子なる救い主は彼自身父なる神に全く信頼する、父なる神を知るただ一人のお方でした。