20.11.22みことばの光
先週の祈祷会は「イザヤ書を味わう」。イザヤ書40章以降にはクロス王の預言が登場します。クロス王はイザヤより130年後の人物なので、紀元前550年頃無名の預言者が現れて、40章以下を預言したという考えが、今日学界でも主流です。しかし宗教改革者カルヴァンは、晩年のイザヤがこれを預言することができたとします。またヘングステンベルグは、クロスというのは支配者を意味する一般的な名称で、イザヤは東から現れる勝利者を預言し、クロスは初めはアグラダテスという名前だったが、王位についてクロスの名を自分のものとしたと考えました。
クロスが「わたしの牧者」「油そそがれた者」と呼ばれていることも問題になります。異邦人の王には決してつけない名称だからです。しかし45章4節に「あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに肩書きを与える」と言われています。神は人間の思いを全く超えたところで、クロスをご自分の目的のために選び、それゆえ彼は「しもべ」と呼ばれたのです。
45章14-19節には、イザヤ書の中心である「ご自身を隠される神」の思想が展開されています。14節の預言は歴史上クロスの登場の時に実現していないので、終末的黙示預言と理解しなければなりません。そしてイザヤは突然神に向かい信仰を告白します。45章15節「イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自分を隠す神」。「隠れたる神」は今日に通じる神学的大テーマです。(1)捕囚の運命と新しいイスラエルの輝かしい未来図にイザヤは驚きます。(2)神の救いの道は人の思いを超えた不思議なものです。(3)しかし人には罪があり、神はご自身を隠し、人がその道を行くにまかせられます。(4)神がモーセに現れた時も神はご自分を隠しつつ現れました。(5)イザヤ書の「心をかたくなにするように」との命令は、「ご自分を隠され」同時に「語られる」神のわざとして理解すべきことがわかってきます。(6)神の示す真理は、聖霊によらなければ肉の目から隠されています。聖霊の導きによって信仰によってのみ、悟ることができるものなのです。