20.10.18みことばの光
先週の祈祷会は"イザヤ書を味わう"。老年期(六十歳ー八十歳)を学びました。南ユダ王国の王四代に渡って活動したイザヤと最後の王ヒゼキヤとの関わりです。アッシリアはサルゴンからセンナケリブの時代に移ります。
聖書には36、37章でセンナケリブが攻めて来た時のことが先に記されていますが、38、39章のヒゼキヤの病いのことは、この直前の出来事と言われています。ヒゼキヤはアッシリアの王に宝物倉の銀をすべて、神殿の扉と柱に貼り付けた金も渡したと列王記第二18:15、16に記されているからです。
38章、ヒゼキヤが病気で苦しんでいる時に、イザヤは王の死を告知します。王が祈ると、主は祈りを聴き、寿命を15年延長します。アッシリアからエルサレムを救い出し守ることも、主は約束してくださいました。38章9節から20節のヒゼキヤの祈りを読むと、彼が絶望から信仰へ変えられていったこと、祈りの中で霊的な取り扱いを受けたことがわかります。
39章には、癒されたヒゼキヤがバビロンの王からの使者を歓迎したことが記されています。アッシリアの脅威が身近に迫っている時に、別の大国から見舞いの贈り物が届けられたことはヒゼキヤの油断を誘い、彼は武器庫、宝物倉のすべて、また家の中、国中のものを異国からの使者に披露してしまいます。戦国時代の王にあるまじき失態でした。イザヤはそれらの物がすべてバビロンに運び去られる日が来ること、ヒゼキヤの子孫が捕虜となり宦官となる日が来ることを予告します。祈りが聴かれたからといって油断してはならないのです。しかしまた南ユダ王国の滅亡も主のご計画の中で定められたこと。神の民は、地上の王国ではなく、霊的な救い主を待ち望むものとされてゆくのです。