20.03.15みことばの光


  今日は過越の祭りの六日前の出来事。イエス様がベタニアに到着されたのは受難週の前の金曜日日没後。ユダヤ教の安息日に入ってからである。ベタニアには11章で復活を経験したラザロがおり、またマルタも夕食の給仕をしていた。その時マリアが高価なナルドの香油をイエス様の足に塗り、自分の髪でそれを拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。
 これは非常に高価なものであった。300デナリで売れるということは、労働者300日分の賃金。1グラムでも高価な香油を惜しみなく用いたことは、周りを驚かせる行動だった。
 これをユダが、貧しい人々に施せば良いのに、と言って咎めるが、ユダは施しの思いで語ったのではなかった。神の御心やイエス様の御心を理解していない人は、焦点がずれたことを語る。そして、他人の良い行いを非難するようになる。
 もちろん、お金や物の使い道は色々あるのだけれど、今この時にふさわしいことは何か、何をなすべきか、ということをわきまえるものでありたい。
 マリアはイエス様の葬りの備えをしたのだとイエス様は言われる。貧しい人々は、いつもいるから、いつでも彼らのために施しをすることはできる。そうすべきだ。しかし、今は、イエス様の去られる時。マタイ26:13にもイエス様の称賛の言葉を見ることができる。マリアの行動は神様の御心の時を理解した正しい行動だったのである。
 私たちも神様の視点で物事を捕らえ、その時々に神様の御旨にかなうことを行うものとならせていただきたい。