20.8.16みことばの光
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。イザヤ書9:6
先週の祈祷会はイザヤ書8章の終わりから9章7節までを学びました。預言の与えられた背景は列王記第二の15章17章に記されているアッシリアの北イスラエル侵攻、サマリア陥落の前後です。イザヤは南ユダ王国にあって同胞北イスラエルがアッシリアとの戦争に敗北し、その地の住民がアッシリア捕囚となり連れ去られる悲報を聞いたことでしょう。北イスラエルの地、ゼブルン、ナフタリ、海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦の民のガリラヤ、広範囲に渡って戦後の焼け野原が広がっている様を想像できます。大国の脅威は南ユダに住む人々をも怯えさせたことでしょう。
しかしそのような苦難と暗闇の時に、光が与えられることが予告されたのです。幼子の誕生によって戦争の記憶が全く過去のものとなる。9章6節の冒頭には日本語に訳出されていない前置詞"キー"があり、6、7節が1?5節の原因であることがわかります。長男の名前。シェアル・ヤシュブ、残りの者は帰って来るというまだ実現していない預言が、インマヌエルと呼ばれるまだ生まれていない子供によって実現していく希望が与えられたのでした。