20.03.29みことばの光


 まことのぶどうの木とは、ぶどうの木がイスラエルを象徴するのに対して、イエス様ご自身こそまことのぶどうの木であるということを言っている。農夫である父は父なる神様。枝は御子とつながれてあるべき弟子たちであり、弟子のあとに続く私たち。弟子たちはすでに刈り込みがなされ、清められて傲慢を取り除かれている。(3節)そしてなお「わたしにとどまりなさい。」と命じられている。(4節)弟子たちにとっても私たちにとっても必要なことはイエスにつながれて、イエスにとどまり続けることだった。なぜならイエスにつながれてあってこそ実を結ぶものとされるから。そしてそれはヨハネの福音書にのみあからさまに記されていない聖餐式にあずかり続けることであった。聖餐式は行いによるのではなく、信仰によってイエスにつらなり続けることを意味する。すべての人は罪を犯したので神から栄誉を受けることができず、ただイエスの贖いの十字架を信じる信仰によって聖餐にあずかり、救いの恵みの中を生きるからである。信じて義とされ、新しくされたものだけがイエスにつながれて実を結ぶことができるからである。
 天の父が私たちを愛し、御子を私たちに与えてくださった愛を改めて感謝したい。そして、神が私たちを愛し、イエス・キリストがわたしたちを愛してくださったから、その愛をもって私たちは互いに愛し合うことができるのである。互いに愛し合うものとなり、実を結ぶものとならせていただきたい。