2021.11.7みことばの光
先週の祈祷会は『詩篇の愉しみ』詩篇第二篇を学びました。おりしも衆議院選挙の終わった先週、聖書がこの世の権力者たちに語りかけ、どのように祈った良いのかを私たちに教えている詩篇は、私たちの現実的な必要を教える詩篇でした。
詩篇二篇は「なぜ、なぜ」という問いかけを繰り返し、現実に疑問を抱く私たちの共感を呼びますが、私たちは疑問について聖書に教えられ、正しく祈りに変えるべきでしょう。「国々は騒ぎ立ち、諸国民は空しいことを企み、王たちは立ち構え、君主たちは集まって」「主と主に油注がれた者に」敵対する、それは世の常なのです。「彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を解き捨てよう。」「彼ら」とは「主と主に油注がれた者」。当時においては主なる神と神の立てたダビデ王、今日においては父なる神と真の王、御子イエス・キリストです。イエス様は「わたしのくびきは負いやすく」と、主と共にくびきを負う道の幸いを示されました。このくびきが、主に敵対する者にとっては「かせ」となり、打ち砕きたい忌まわしい存在になるのです。
しかし詩人はこの世の現実をみつめるだけに終わりません。目を天に向けて神の支配を見据えます。4節「天?におられる方は笑い、?嘲られる。」「怒りをもって?、激しく怒って、彼らをおののかせる。」6節では主が真の王を任命されることが示されます。8節、その王に国々がゆずりとして与えられ、地の果ての果てまでがその王の所有となります。「国々」「地の果ての果て」という言葉は、新約聖書において復活のキリストにより世界に派遣される使徒たちの宣教の目標となりました。主イエスの復活こそ、イエス様が真の王であることの証しであり、イエスの復活に基づいて使徒たちは力強い宣教を成し得たのです。私たちも主が復活された事実に基づいて、福音を宣べ伝えるための後押しをいただくのです。
しかし主はこの世の権力者たちを排除されません。ご自分の身元に招かれます。11節「恐れつつ、主に仕えよ。おののきつつ震え、子に口づけせよ。」すなわち「世の権力者たちよ、真の王に恭順を示せ」これが詩篇第二篇の祈りです。主に身を避ける人、主に信頼する人こそが真の幸いを得ると私たちは確信すべきなのです。