2021.4.18みことばの光
先週はイザヤ書55章を学びました。53章に記された主のしもべの死による贖いを土台として、新しい民が誕生。54章では、新しい民が増え、大きな祝福にあずかることが宣べられましたが、55章では、神のことばによって人間の常識を超えた神の恵みが与えられることが示されます。
私たちの教会の聖書通読は木曜日ヨハネの福音書7章でした。37節で主イエスは「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」と大きな声で群衆によびかけられました。イザヤ書55章1節の呼びかけそのままの招きでした。
水の豊かな日本と違い、中近東においては「水」が売り買いされる貴重品であったことを覚える必要があります。それなのに「金のない者も求めよ」という招きです。「金を払わないで、穀物を買え。」という言葉も言葉の上では矛盾していますが、これが新しい民への招きでした。53章で主のしもべが「いのち」を代価として支払ったので、新しい民は無償で神の恵みを受けることができる時が来ることをイザヤは預言したのです。そしてこの預言はまことの救い主イエス・キリストにおいて成就したのでした。リベラルな聖書解釈者たちはイザヤ書40章以降をイスラエル捕囚期以降の著作、捕囚から解放の著述とみなしますが、文脈をしっかりと読み解くなら、イザヤの預言は歴史の現実を超える救いを啓示しているのです。
5節の「あなた」は新しいイスラエル、あるいはキリストのどちらとも解することができます。キリストが新しい神の民を呼び寄せ、召し集める。また新しいイスラエルはさらに異邦人を呼び寄せ、召し集める。新約聖書で教会は「エクレシア、召し出された者の集まり」と呼ばれますが、新しい神の召しによって教会が神の民となるのです。なにもかもキリストの贖いのみわざゆえでした。7節には「悪人」が「神に帰」るだけで「赦」される恵みが語られています。私たちの受けた救いはまさに立ち返るだけで与えられる赦しでした。それは人間の常識を超えています。8、9節で神の道が人の道と異なると言われている通りです。そしてこれを成し遂げるのは11節「わたしの口から出るわたしのことば」なのです。