2021.4.4みことばの光
先週は受難週。「旧約聖書中最も重要な箇所」(p.181の4,5行)イザヤ書52章13節から53章12節の「第四のしもべの歌」を学びました。テキストの前半は専門家でない者にとっては難解。後半の「詳細の検討」は結論ですので、少しわかりやすくなっています。祈祷会では後半を読みました。
52:13「彼は高められて上げられ、きわめて高くなる」。同義語が三重に用いられているのは「わたしのしもべ」が神に等しく高められることを表現しています。しかし14節以降、13節の言葉とは裏腹にしもべは徹底して低くされます。14節「その顔だちは損なわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。」この言葉は53:2で「見るべき姿も輝きもなく、慕うような見栄えもない。」と、否定詞ローの積み重ねによって強調されます。高められるはずのしもべが、あまりにもひどい有様なので、人々は驚愕することになります。それは十字架のイエス様において実現しました。53:3「彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。」のけ者にされるほどの蔑みとは、ツァラアトの病を連想させます。まことの神のしもべであるイエスさまは十字架の上で、それらすべての病の苦しみ悲しみを、合わせて味わわれたのです。4~5節では「彼」と「私たち」が対照的に用いられています。6節では「私たちみな」「私たちすべての者」という言葉が繰り返されています。すべての者が罪人、しかしそのすべての咎を主が負ったのです。7~9節では屠られる羊の殺される様が客観的に描かれます。しかしイザヤはそれが「私の民の背きのゆえ」であったと自分を関係させます。10~12節は結論。また、主のみこころを成し遂げたしもべが、生きてその結末を見て満足することまで描かれます。イエス様が死んで終わりになるのではなく、死の後、甦り、生きて、とりなし手として働かれることで、この預言は成就することになりました。イエス様の驚くべき死と復活が、旧約聖書に預言されていたのです。