2021.10.31みことばの光
牧師は休暇中、長崎、島原、などなどキリシタン遺跡の町々を探訪しました。神学校の教会音楽教師、天田繋先生が『26聖人殉教オラトリオ』を作曲しており、紹介してくださったことが興味を持つきっかけでした。カトリックの聖人を讃えた作品に難色を示す同級生もいましたが、日本キリスト教史の山口陽一先生に尋ねたら「日本のプロテスタントはキリシタンの殉教を正しく評価してこなかった」と教えてくださり、命懸けの信仰を守ること、その信仰の遺産を語り継ぐことは、旧教・新教の隔てなく意義深いことを教えられました。
山口の防府で主日礼拝を守り、長崎に到着したのは夕刻。平和公園に車を止め、一番最初に記念像を見ました。坂の多い街に原爆が落とされたこと。その悲劇を乗り越える背後に、多くの信仰者の思いが溢れていることを感じさせる街並みでした。有名な大浦天主堂や浦上天主堂は外から眺め、翌日西坂の26聖人記念館、聖フィリッポ教会へ行きました。記念館の最初の部屋に入ると、奥の高い壁にパウロ三木の木像がありました。もちろんそれは礼拝の対象となるような偶像ではなく、この十字架に架けられた人は何もなのか、ということを訪問客に問いかける存在でした。以前にも紹介した彼の最後の言葉、説教を掲載します。「 ここに おいでになる すべての人々よ。私の言うことを お聴きください。私は、ルソンからやって来た者ではありません。れっきとした日本人であって、イエズス会の イルマン(修道士)です。私は 何の罪も犯してはいませんが、ただ 我が主イエス・キリストの教えを説いたということで、死ぬのです。私は、この理由で死ぬことを喜びとし、これは、神が 私に授け給うた 大いなる御恵みであると思っております。今、この最後の時を前にして、皆さん方を欺こうとは思いませんので、" 人間の救いのためには、キリシタンの道以外の 他の道は ない "
と断言し、説明いたします。キリシタンの教えが、" 敵 及び 自分に害を加えた人々を 許すように " と教えています故、私は、太閤様と この私の死刑に関わった すべての人々を許します。
太閤様に対して、憎しみは ありません。むしろ、太閤様をはじめ、すべての日本人が、キリスト信者になることを 切望いたします。」1597年2月5日、正午まえのことでした。