2021.8.15みことばの光
先週の祈祷会は『イザヤ書を味わう』。新しい祝福の約束(六五章)を学びました。六三、六四章と祈りが続き、六五、六六章は神様の答えです。
1節で主は「わたしを尋ねなかった者たちがわたしを見出す」と語っています。新約聖書においてユダヤ人たちがイエス・キリストを拒絶することで福音は異邦人に伝えられる時代が到来しました。それでは選びの民イスラエルはどうなるのでしょうか。
2から7節で真の神に逆らい偶像礼拝を続ける者は罪の報いを受けると言われます。8から10節は、しかし残りの者が残される。祝福の回復も予告されました。11から12節で再び、主を捨てる者たちの過酷な運命が告げられ、13から15節で真の神により頼む「わたしのしもべたち」と主に従おうとしない「おまえたち」が鋭く対比されます。預言者イザヤの言葉に耳を傾けようとしない現実のイスラエルに向かって、最後まで神の警告と招きは語り続けられたのです。
しかし私たちが真の神に希望を置く理由は、従わないものに厳しい裁きが定められているからではありません。真の神に希望を置く者に到達すべき世界が約束されているからです。17節以降、旧約聖書中、最も美しい終末の光景が描き出されます。
17節『見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。』創造主なる神様ですから、世界すべてを新しく造り変えて、すばらしい未来をもたらすことができます。ここに辿り着いた者には喜びと楽しみが命じられました。主もわたしたちを喜び楽しんでくださいます。悪い時代には幼児や若者が夭逝しますが、来るべき世界ではそのような災いが消え去ります。全ての人間の営みは神様の祝福のうちに栄えることになります。かつて人間の堕落の結果損なわれた創造の世界のうるわしい秩序が回復し、何よりも神と人との交わりが愛に満ちた状態になります。
24節『彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。』これらの預言のうち、すでに実現したこと、これから実現することを見分けなければなりませんが、私たちは主イエス・キリストを信じる信仰によって与えられた神様との交わりを喜びつつ、未来を期待して待ち望むものとなりましょう。