2021.5.9みことばの光
先週の木曜日は「聖書に聴く」。聖書日課に基づいて新約聖書使徒の働き7章を読み、教えられたことを分かち合いました。
使徒の働き6章では、ギリシア語を使うユダヤ人とヘブル語を使うユダヤ人の間で問題が起きます。ペンテコステ以来増えつつあった弟子たち、初代教会に集う信徒は、文化的問題に直面するようになりました。これを解決するために7人の役員が選出されます。使徒たちが「祈りとみことば」の奉仕に専念するために選ばれた人々でしたが、ステパノは「恵みと力に満ち(6:8)」、7章でも使徒顔負けの大説教を語っています。それはアブラハムからソロモンに至るまでの旧約聖書の歴史の要約。神はイスラエル人の先祖たちにご自分を現し、約束を語られましたが、ステパノのメッセージを通して、信じて従う人々とそうでない人々の違いが浮き彫りになります。私たちは新約聖書の光を用いて旧約聖書を照らし、そのメッセージに聞いていく必要があります。イスラエル人の中にも色々な人がいるということがステパノのメッセージを通して明らかになるのです。9節にはヨセフをねたんだ兄弟たち(ここでイスラエルの歴史を意識して「族長たち」と呼ばれています。)が登場します。25節にはエジプト人を打ち殺したモーセを指導者として認めない同胞が登場します。しかし35節、モーセは神に遣わされた指導者でした。37節でモーセはやがて来る預言者の存在を予告しています。ステパノの説教を聞くユダヤ人たちの目の前で、十字架に架けられたイエス様のことであり、今ステパノをも殺そうとしているユダヤ人が先に殺害した救い主でした。39節には、モーセの時代に偶像礼拝の罪を犯したイスラエル人のことが記されています。彼らは神に逆らい、ついにはバビロン捕囚の憂き目に出会ったのでした。44節から50節では彼らの誇りとする神殿がなんなのかが確認されています。目に見えない神は、手で造った家にはお住みにならない(48節)ということでした。このように語ったステパノが石打ちで殺されることになりますが、聖書の信仰はイエス・キリストを真の預言者、神の御子救い主であると信じて受け入れる人々に引き継がれていくことになるのです。